スマトラ沖地震の死者12万人を越える、一神教とは何か:ヤハウェと

[総合] スマトラ沖地震による死亡者数は12万人を超える

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/sumatra_tsunami/

米国はインド洋周辺国への通報・警告を怠ったとある。
そう、これは一種差別観があるのではないかと思うが。アジア人を差別というか無視しているのではないだろうか。
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/464


[叡智学][宗教][備忘録] 一神教とは何か:ヤハウェアッラー

 不連続的差異論からみると、メディア界の問題である。ヤハウェは、超越的唯一神であり、アッラーは、内在的唯一神であるとこれまで通り考えよう。ここで、図示しよう。


         |         |
   イデア界  |  メディア界  |  現象界
         |         |
     不連続的差異・多    連続的差異・一



1.ヤハウェは、イデア界的多元性を否定する反動性をもって、連続的差異・一性の超越性をもち、超越的唯一神となるのであろう。

2.アッラーは、イデア界を肯定するが、メディア界の連続的差異・一性を帯びるのであろう。つまり、アッラーは、イデア界的な多元的肯定性をもつものの、全体を連続的差異・一性として、把捉する唯一神だろう。

結局、前者は、超越的で反動暴力的であり、後者は内在的で差異共存的である。

ということで、一神教のまったく異質な二種類が明快になったであろう。(キリスト教に関しては、ユダヤ教の徹底化と言えるものであるから、ここでは言及しない。)

さて、イスラーム教のこの内在性とは何か。これは、実は、多神教的なものである。母権的である。女神的である。それを、男性神、父権神的に表現するとはどういうことなのだろうか。連続的差異・一性・微分の表現ではないのか。連続的多様体の表現ではないのか。「自我」化と言えるかもしれない。つまり、連続同一化である。これが男性神となったのではないだろうか。いわば、ドゥルーズ哲学あるいは、スピノザ哲学化であろう。ということで、アッラーとは、差異の能動肯定的連続同一化のことであり、ヤハウェは、差異の否定反動的連続的同一化であることとなろう。

p.s. 中沢新一氏の『神の発明』(講談社選書メチエ)には、メビウスの帯型の神とトーラス型の神の二種類が説かれている。両者があるのが多神教で、後者が前者を抑圧するのが一神教ということであるようだ。不連続的差異論から見ると、イデア界/メディア界がメビウスの帯型であろう。メディア界/現象界が、トーラス型であろう。しかし、中沢氏の説明では、ヤハウェアッラーの区別がつかないと思われる。